最新哲学の記事一覧

02/02

正直言うと、お金とか関係なく、数学教えたい。
だから、学校の先生が僕にとってはやっぱり目指すところなのかなって思うんです。

お金って大事。
ホリデープログラムやってるとすごくわかる。

僕も、準備に相当時間かけてホリデープログラムを準備して、僕が17年間の指導者経験をそこに詰め込むわけだから、値段設定としては決して高くはない、むしろ提供できる質のものとしては、安いとは思う。
ただ、やっぱりお金とは全く関係ないところで、僕は教えたいし、延長したからって誰からも気を使ってもらわなくてもいい環境で生徒を指導したいという願いが、実は頭のどこかに常にある。

お金ってのは、資本主義の根本にあるものなんだけどさ、これの形がもし変えられたらいいのにって最近思うんですよね。
お金=信用を数値化したもの
ってよく言うんだけどさ、僕の授業とスーパーで牛の肉を比べたときに、どっちが価値があるかって、そうやって比べられること自体ちょっと変だなって思うんだよね。

今は、どうしても受験等があって、数学をどうして学ぶのかの理由が「テストでいい点を取れるから」というところに直結する。
テストでいい点が取れる指導、今まで嫌というほどやってきたから、やろうと思えばできる。
でも、そのテストだけに勝てる力がこれからの世の中でどれだけ役に立つかが不明なんですよね・・・。

それよりも、自分で考えて自分で学べる力を付けたほうがいい。
そう思って、実は自分の指導方法を今変えているところなんです。
もちろん、生徒によい点数も取ってもらいたいので、要所では試験対策をしますが、その他は授業の指導方法を変えています。
只今研究中なんだけど、今のところは、指導法を変えたことによって生徒たちにポジティブな変化が出てきています。

まだ、ここで公表するほど深く細かいデータが拾えていないので、具体的な方法はここでは語りませんが
「自分で考えて、自分で学び、自分で行動する」という力を付けさせるために、いろいろ取り組んでいます。
数学のような、単純反復と考える力が交互に学びの中に出てくる教科というのは、こういった力の育成を効率的に行えると僕は思っているんですよね。

例え受験制度が崩壊しようとも、資本主義が根底から揺らごうとも、人間に絶対的に必要な力を僕は生徒たちに付けていきたい。

なんて思考が最近頭の中を巡っている。

方向転換しているときって、どうしても迷いがあって、なかなかフルスイングできないもんなんですよね。
実は、1月はホリデープログラムをせずに、個人授業をしただけだったのですが、
その迷いのせいで、積極的に指導しようという気持ちにブレがあったんですよね。
今週、現地校の生徒たちと接し始めて、やっと自分の迷いがどこにあるか分かった。

とりあえず、これからは、しばらく正規の先生として教員登録ができるように、またいろいろ頑張ろうと決意した1週間でした。



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01/15

今日、実は、僕が2年前からフォローしている人気ブログを書いている人と会ってきました。

彼はクライストチャーチで講演するらしく、オークランドでの国内線へのトランジットの際に連れ添ってくれませんかって、マネージャーさんからFacebookを介して連絡がありまして、二つ返事で了解しました。

バングラディッシュで貧しくてその日の食事もままならない子供たちに食事を配給したり、学校を建てたり、その他にも本当にいろいろな取り組みをしている人なんです。
彼の取り組みをブログを読んで知り、英語の勉強で心が折れそうなとき、何度もエネルギーをもらったんですよね。
会ったことないけど、彼は恩人なんです。

ずっと一度会って話してみたいと思っていたので、かなりワクワクしていました♪

実際会ってみると、見た目はさわやかイケメン。
話してもさわやかイケメン。
サラッとしているようでも、話していると、その奥に熱い思いがあることがひしひしと伝わってきます。

※本人の許可取っています。
ひろのぶさん1
この本欲しかったんですよ!

初対面ですし、ずっとフォローしていたので、僕は柄にもなくかなり緊張していました(^^;)
ひろのぶさん

あ、ブログで自分の顔出すの何気に初めてだな。
まぁ、読者の半分以上の人は、僕の知り合いなので、もういいかな。

しかし・・・どんなギャングっぽい生徒に対しても、まったく気兼ねなく普通の兄ちゃんとして楽しく接することができるのが僕の売りなんですが・・・どうやらその図太さは、生徒限定のようです(笑)
相当緊張していました(笑)


最初の写真と2番目の写真の右側に移っているのが、今日会った藤原ひろのぶさん。

ちなみにひろのぶさんの活動や考えがこのブログから知ることができます。
病気を治そう!!

30分しか話せなかったけど、いや~すごくいい刺激になりました!
同世代で有言実行を貫く人を見ると、本当に刺激になるし、本当にエネルギーをもらえる。



さて、空港での話なのですが、到着する予定の12時に着くというので、まぁ30分じゃ出てこれないだろう、って思い12時30分過ぎに到着。
午後2時発のフライトに乗り継ぐ予定だったので、国内線ターミナルまで行くのに、バスがいいか歩きがいいか、本人に聞いて、リンクバスを選択するか、歩くか決めようと思っていたんですが・・・なかなか出てこない。

1時半過ぎてもまだ出てこない(汗)

・・・?あれ?
俺が着く前に行っちゃったんかな?

なんて思って、マネージャーさんに連絡したら、そんなはずはないとのこと。

結局、午後2時の飛行機には間に合わない時間に出てきて、いろいろ話聞いたら、税関でストップくらっていたらしい。

って、話聞いたら、止められるのも仕方ないかなって思った(^^;)

⇓カスタムでの会話

職業は?

色々やってます。

何しに来たの?

人に会いに来た

どれぐらい滞在するの?

2日間。


そして、彼の荷物を見たら、小さめのキャリーバック一つだけ持ってるだけ・・・。

世の中の形が変わり、旅をしながらブログを書いて生活している人もいるし、影響力だけを武器に生活している人もいる時代なので、一昔前より多様化し、いろんな職業が認められ始めて入ると思うのですが、さすがに怪しまれたようです(^^;)

足止めをくらったのは、ひろのぶさんのせいではないので、もちろん振り替えの便が用意されるということで、国内線のロビーまで歩いて向かったのですが、僕自体が国内線に乗る機会があまりないもので、ちょっと道を間違いながらも何とか到着(←案内人になってない(汗))

コーヒーを飲みながら、何を話したらよいやらわからないけど、とにかくこういうチャンスは早々ないので、必死になっていました。
何に必死になったかは全くわかりませんが、僕は間違いなく必死でした。

30分とは言え、この人には、普通の生活をしているだけでは見えないものがたくさん見えているということを感じ取ることができた。
でも、もっと話が聞きたい!
できれば、次オセアニアに来るときには、オークランドでも講演会をしてほしい。
ただ、僕一人のために講演会を開くことはできないので、どうでしょうオークランドの読者のみなさん。
もし、藤原ひろのぶさんがオークランドで講演会をやるとしたら、講演会に参加したい人いませんか?
もし興味がある方がいたら、連絡ください。



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時間とお金。

カテゴリ:哲学

01/02

12/07

ここ数日じめじめした天気が続いていた中で、今朝は雲一つない晴天!
本当にすがすがしい朝。
何かいいことが起こる予感しか感じない♪
そら


今日は、20年以上うちの学校に勤めていた人の離任式とお疲れさん会でした。

もちろん、離任式って、日本でも一緒なのですが、スピーチをしますよね。
うちの学校、生徒が3000人を超えるので、教員も200人以上います。
なので、長く勤めた人だけが全員の前でスピーチをする感じになっています。


で、スピーチを聞くたびに思うのですが、やっぱり英語のスピーチはいい。
退屈させないんですよね。
僕もやっとスピーチが聞き取れ、最後の難関とされるジョークもかなりわかってきたので、最近気づくようになったのですが、英語でのスピーチにはメリハリがある。
所々で落とすのが通例になっている。
なので、聞いているほうは、みんなワクワクして目をキラキラさせながら話を聞く。

この姿勢、すてきですよね。
授業がへたくそな人って、勉強一辺倒になって、生徒を笑わせないんですよね。
落ちがあるから、面白みがあるから、人って話を聞くんですよね。
面白くない人の話を聞きたがる人いないよね。
よくありふれた話を卒業式でする偉い人いるけど、あれ、拷問ですよ(笑)

気合を入れた面白いスピーチをする人がいる。
それをキラキラした目で楽しむ人がいる。
しっかりと役割分担されている、この共通理解がその場を特別なものにしているんですよね。

その後、教員だけのお食事会。
かなりきらびやかな食事が並び、そこでパーティ。
おいしいしきれいだし、言うことなし!

そんな料理を準備している人たちを見てふと思った。

例えば戦場で、AチームとBチームが戦っているとする。
チームにはそれぞれ賄担当と戦闘担当の人がいたとする。

そこで、Aチームは
戦闘で大変な思いをしている人を支えたい、少しでも疲れをいやしてあげたいという思いから、限られた材料の中でも最高においしく栄養価の高いものを準備しようとしてくれる料理人がいたとする。
そして、食事の心配などせずに、戦闘でくたくたになるまで戦って、ヘロヘロになった兵士が戻ってきて、おいしい料理に喜んでがっついて、また士気を高め、また必死に戦うとする。

Bチームは
兵士が「お前、料理ばっかしないで、お前も戦えよ」と料理人にプレッシャーをかけていたとする。
料理人は、びくびくイライラしながら、できるだけ文句を言われないようにふるまっているとする。

どっちのチームが強いのかな。
例えBのほうが強かったとしても、命を落とす危険性がある戦場だったら、どっちのチームに所属したいと思うかな。

時間は命。
その時間をどう過ごしたかで、人生って決まるので、時間って命なんですよね。
この兵士と賄人の例は極端にしても、同じ時間をどう使うか考えることって僕らには命の質を決める重要な作業なんですよね。

スピーチを聞く側、スピーチをする側、みんなそれぞれの役割がはっきりしていて、その役割に徹すること。
聞いてくれているんだから、面白いスピーチを書こう。
面白いスピーチをしてくれるんだから、じっと聞こう。

おいしい料理を作ってくれるんだから、俺らは頑張って戦おう。
一生懸命戦ってくれるんだから、おいしい料理を作ろう。

社会ってこうやって成り立っているんだなぁ。
こうやって充実した時間が送れるんだなぁ。
そして、各々の役割がうまく回るようにしているのは、実は「相手の存在への感謝気持ち」なんだなぁ・・・ってつくづく感じた朝でした。


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12/05

小学三年年生のとき、当時仲が良かった菅井くんと僕が教室の前に呼ばれ、クラスに紹介された。

「この二人は、すごく真面目なんだ。素晴らしいと思わないかい?」と、僕たちを称賛した。
僕は正直に真面目であることをみんなの前で褒められ嬉しかった。
その先生、とても良い先生だった。クラス運営が上手だった。

そして、真面目であることは、素晴らしい人格者になるために重要な欠かせない要素の一つだということは、当時の教育では当たり前の常識だった。

時が過ぎ、大学を出る頃には、自分の特性がある程度わかるようになった。
自分を分析する中で、なんとなく気づいたことがあった。
学生時代の僕の長所は、スポーツができることと、数学ができることだった。
短所は英語ができないことだった。
そして、数学と体育について、自分は真面目に取り組んだことはなく、ただ単に楽しくて取り組んでいただけだった。
それに比べ、英語は全ての教科の中で一番真面目に取り組んだ教科だった。

ここで一つの仮設が立った。
「真面目にと言うのは、長期的に見ると、あまりプラスではないんではないか?」

つまり、真面目にやらせる勉強より、好きになる、楽しくなる勉強のほうが効果的なのではないかということ。

最近の日本の教育界もそんな風潮があるように思えるんです。
煮詰まっている感がある気が。
それは、先生が真面目にやりすぎているからじゃないかと思うんです。

とは言え、真面目であることは尊いことであることは間違いないと思う。
でも、その真面目、本当に適当なときに使えているのだろうか?

真面目であることが持つ力は絶対的なオールマイティなものではない。
根性論がうつ病を引き起こすかのように、真面目であることが引き起こす副作用もある。

僕は自分が行き詰まったときは、てきとーに物事を考えるために、高田純次の動画をよく見る(笑)
そう、あのぐらいの適当さが、僕の凝り固まった頭を柔らかくしてくれるんですよね。

もしこれを読んでいる先生で「俺、今真面目すぎるなぁ」って思ったら、高田純次の動画を視聴してみてください。
おすすめですよ(笑)


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