最新教育の記事一覧

これからの教育

カテゴリ:教育

02/11

「補習校の宿題いつやるの?」
と僕も娘によく聞いてしまう。

これって、本当に宿題やってほしかったら、逆効果なんですよね。

学校の先生も、こういった指導をする人を多く見てきた。
NZでも見ています。

勉強しなさい
宿題いつやるの?
テスト近いんだから

こういった親や先生方からの発言って、実は意味ないか、逆効果だったりする。
これから10年ぐらいかけて、このあたりが禁句ですよって言われる教育法が多分続々登場することになると思う。

今、世界の教育現場は、大きく変革の時を迎えていている。
勉強なんかしなくても、暗記なんかしなくても、グーグル先生に聞いたら、なんでも瞬時に答えが出てくるんです。
お医者さんだって、ググって診察する時代なんですよね。

じゃぁ、今、子供をどう教育すればいいの?
って思いますよね。

あくまで僕が今までの経験から割り出したものですが、これからは
「子供になりたい自分像」を強くイメージさせ、
子供たちが自発的に学ぶように仕向けること。

そのためには、学び方を教えることになるが、まずはなりたい自分像をどうやって発見させるかが重要になる。

この下に書く記事は、僕が実際に生徒にした指導です。
Twitterでちょっとバズッたのですが、こういった声かけが重要だと思っています。

※ここでしている会話は、全部英語で行われています。





教員してると、たまに天のお告げみたいな、そんなものに操られて行動する時がある。



今日の数学の授業に、去年から問題視されている生徒がいた。



厳しい先生から優しい先生まですべての先生に怒られてた。



怒られる理由は確かにそこにあった。



集中できずにちょっかい出したくなっちゃうんだよね。



いつものように、その生徒は課題を全くせずにボーッとしていた。



僕はふと彼の隣に座って話し始めた。



「実はね、僕は君が賢いということを知ってるんだよ。君が思うよりも詳しく、君の能力がわかってる。」



普段はいらないことを言って先生方に反抗するんだけど、この時はキョトンとしていた。



「なんのために勉強するか知ってる?頭を良くするためだよね。



頭が良くなると、いろんな面白いことができて、人生がもっと面白くなるんだ。それはわかる?」



彼は頷いた。



「でもさ、ちょっかい出したくなる。集中して勉強なんてしたくない。って思う自分もいるじゃん?」



彼はまた頷いた。



「でね、2つの人生の楽しみ方が君にはあるんだよ。一つは、頭を良くして人生を楽しみたい自分。頭を良くする作業を避けて、ラクして楽しみたい自分。」



じっと僕を見つめている。



「どっちがいいと思う?」 と聞くと



「頭を良くしたい」と答える。



ここで僕は



「じゃぁ、何をいますべきかな?」



彼は



「問題を解く」と答えた。



僕はこう答えた



「それは半分正解だ。でも、半分は間違ってる。」



キョトンとした顔で僕を見る。



「この問題、できたほうがいい。でもね、実のところ、この計算ができなくても、君はそんなに困らない。」



「数学ってそんなもんなんだよ。」



じっと僕を見つめている。



「この問題を解いているときに出てくる雑念とうまく向き合うトレーニングだと思う必要があるんだよ。どうやったら集中し続けられるか。どう言うときに集中が切れるのか。それを観察するんだ。」



「最初は簡単じゃない。でも、絶対に今の君は昨日の君よりも賢くなってる。明日はもっと賢くなってる。だって明日の自分は、自分をもっと上手にコントロールできるんだから。」



「もちろん全然簡単じゃないし、僕だってできていないときがある。でも、そこで自分がハードワークすれば、その先にもっと面白い人生が待ってるんだよ。」



「僕は君の人生にずっと寄り添うことはできない。でも、君の人生が楽しいものになってほしいと思っているんだ。だから、数学を使ってその方法を伝授してるわけ。」



彼はまだ、じっと僕の目を見つめている。



「じゃぁ、今やるべきことわかる?」



と言ったら、静かにうなずいて、必死に問題を解き始めた。



彼の課題が全部終った頃に、また彼の隣に座り。



「すげぇな。お前、半端なく賢くなるぞ。いやぁ、感心したよ!」



って万編の笑みで呟く。



涙ぐむ生徒の顔がそこにあった。



これだから教職はやめられない。





ちなみに、この生徒は普段課題を半分も終わらせられない、今まではほとんど真面目に取り組んでいなかった。



明日また崩れて学ばなくなるかもしれない。



でもいいんだ。 俺はまた同じように彼と接する。



いつになっても変わらぬメニューを提供する行きつけの喫茶店のように、これからも同じことを繰り返し言い続けるぜ。




こんなツイートでした。

方法としては

ゴールを見せて
何をすべきか考えさせる。
でも、さすがに子供には単純な道しか見えないので
もっとそのゴールを達成するために効率的な方法を助言したりする。

これ、すべて押し付けでなく、話し合いスタイルで行うべきなんです。
上からものを言うのではなく、感覚としては、生徒が運転手で、先生がナビゲーターみたいな感じです。
生徒が行きたい場所を示すので、先生がそこへの安全に行ける道や近道を示すんです。
と、僕がのちに使う記録用に書いてみました。




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11/23

突然ですが、受験ってみなさん、どう思います?
今、いろいろ受験の形も変わってきてはいますが・・・受験って本当に必要なのかどうかを考えてみました。

そもそも、勉強というのは、そこで学んだ知識を利用して何かができる、それを目的に行うべきものですよね。
そこからたどると、その勉強が受験のためだけに存在しているあり方が、勉強の元々の在り方と相反する。
そこが日本の教育の問題点だと思うんですよね。
ゴールが受験になりがちなんで・・・。

ここで、大学の存在意義が、入試を通過することにあった20年前と今、おんなじ価値観でいいのかどうかっていう視点から書いてみます。

当たり前ですが、大学受験って難しいじゃないですか。
高度成長期の前後では半端ない人口増加のために、受験を難しくして足切りをしないと大学に生徒が入りきらなかったわけで、そこからこの受験戦争が始まったと聞いています。
(その前は、東大に無試験で入れたって言ってたおじいさんの話を聞いたことがあります。本人は東大出身だぜって自慢しながら、笑い話のようにそのエピソードを語ってくれました)

当時はコンピューターやインターネットがなかったから、記憶が得意だったり、言われたことを瞬時にできるようになる能力は重宝された。
つまり、その時代では、確かにこの受験システムは理にかなっていた。

ただ、今はそういった能力を持った人がやっていた仕事はコンピューターにとってかわられてしまった。

となると、今はどんな力を付けなければいけないのか?

僕の見解ですが、これからの世の中は、自由で柔軟な考え方がものを言う、新しいことを常に吸収して変化に対応しながら生きていく力が必要不可欠になってくるのです。

今までとは全く違ったコンセプトを受け入れることができる柔軟性と、そこから学んだことをもとに行動に移す能力。

これらを身に付けさせるために、現行の受験戦争は必要なのでしょうか?

浪人までして、吸収率がとても高い感受性の豊かな十代後半にあの受験戦争・・・本当に必要?
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本当にそれで世界で頑張っていける人間を多く輩出できる?

考えてみましょう。
大学は国の脳みその質を決めるようなところ。
そして、大学レベルになると、世界との競り合いが発生する。
そして、世界のトレンドは、今までになく急激に変わっている。
なのに、日本の脳みその質を決める入口の受験制度が、今までと同じでいいのだろうか?

何が言いたいかというと、受験勉強だけできて、大学内で学ばない生徒を入れるより、熱意をもった人間にたくさん学んでもらったほうが、有益なんじゃないかと僕は思うんです。
頭なんてよくしようと思ったら後からよくなるし、大学の中で鍛えてもらったらいい。

日本の社会全体でみると、専門性が高い人間をできるだけたくさんの分野で作り出すことって、これからの変化が激しい時代にすごく大事なことだと思うんです。
知的な引き出しをたくさん蓄えることって、国にとってすごく有益。
全員で同じ方向だけ見て進んでいけば利益が出るって時代は終わったんで、同じ能力がたくさんあってもあまり意味がなくなってきたんです。

現行の受験は・・・
大学に入る前に頭を良くしてこい、何教科かの入学試験で平均的に高い正解率で解けるようにして来い。
もちろん難問出すよ。だって、そうしないと足切りできないから。
でも、それが解けるようになったからと言って、その知識が大学の勉強に役に立つとは限らないよ。
でも、テストでは高い点数を取ってね。
そして、大学ではやる気がなければ、別に遊んでていいよ。

・・・と。

このまま現行の受験システムを継続するよりも、ハードル下げて、高校でそこそこいい成績を収めている、そこそこちゃんと勉強の仕方がわかっているやる気のある子を入れてあげようよ、遊ぶの目的で入る点数が取れるだけの人より有益だよ。
やる気があるけど能力が足りない子がいたら、留年させてあげればいいじゃない。
もがき苦しんで、成長してもらえれば。
学びたい意欲がある子を集めて育て上げたほうが絶対効率がいい。
そうなれば、今度は、日本の社会全体が、学びたい意欲もつ人間を育てようとする。
それだけで、今の日本の教育が抱えている問題がかなり解決されると思う。
子供たちの意欲をうまく引き出せる社会が作られれば、発想力、粘り強さ、生きる力などが、日本人に戻ってくるはず。

価値観の多様化と人間の能力の多様化に対応できる受験制度があったら・・・なんて、そんなに簡単であれば、もうやっているんでしょうけど(^^;)
でも、ちょっと大学受験について、このまま同じことを続けていたら、日本やばいんじゃないかと思う。

とはいっても、日本はそれでも優秀な国。
ここから10年ぐらいの間に、受験の制度が大きく変わることは、間違いないことだと思う。
今、まだ小さなお子さんをお持ちの親御さんは、受験制度がどう変わっても、柔軟に対応できるような教育をお子さんにしておくことを強くお勧めします。


※受験は大学の大事な収入源であることは百も承知だけど、そこは今回は触れないでおく。



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11/22

今日は、球技大会でした。
いつもは授業中に目を盗んではゲームをしたりしている生徒が、笑顔で一生懸命に競技に参加している姿を見ると、なにかうれしくなります。

そこで、そこらへんに転がっていたこのボール。
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僕のワーホリ時代にホストマザーから出されたなぞなぞを思い出した。
僕はホストファミリーとキャンプに一緒に行っていて、そこで僕がサッカーが好きなので、サッカーボールを持ってきてもらったんです。
ただ、キャンプといっても、キャンプ場みたいな生半可なものではなく、四駆でないとたどり着けないような山奥でのキャンプです。
ホストマザーのお兄ちゃんが所有している山でのキャンプだったんです。
なので、サッカーができるような土地はありません。

そこで、そのサッカーボールを抱えたホストマザーが一言。

"Hey, what is wrong with the shape of this ball?"

?わけわかんないんですけど(汗)
球体は球体で、これほど素晴らしい形はないはずなのに、間違い?
一体何が間違っているんだろう???

"This is not a right shape!"
と言われるわけです。


う~ん。。。わからん。

結局、一晩してから降参して、答えを聞いたら。

"Where are you staying at the moment?"
って言われました。
「あ、そういうことか。」とそのコメントで謎が解けたのを覚えています。

そう、NZでは、ラグビーボールが正しい形なんですよ。
という、NZ人らしいクイズでした。


ちゃんちゃん。


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11/21

今日はNZと日本の学校事情について書いてみようと思います。
まぁ簡単に言えばお仕置きの在り方です。
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※ここで書いているのは、僕が見てきた学校の在り方であり、もちろん学校によっていろいろ違いはあります。

生徒指導とは、地方によっては生活指導とか言ったりします。
制服の乱れを正したり、挨拶活動の先導したり、いろいろな学校の規則を作成・修正したりします。
生徒会活動も、日本では基本的にこの部署に所属することが多いです。

さて、その生徒指導の中で、今回話題にしたいのが「悪いことをしてしまった生徒に対する指導」です。
この点においては、NZの生徒指導と日本の生徒指導には決定的な違いがあります。

日本の中学校の場合は、まず、生徒が悪さをしていたところを目撃した先生がまず指導。
そこで、その先生がその指導で十分だと思えばそこで終了。
不十分だと思えば、その次には担任の先生に話が渡ります。

担任の先生が今度はその生徒と話をし、それでも十分と判断しなかった場合は、ここで普通は親御さんに電話で相談します。
そして、それでも何ともならない場合は、学年主任の先生や管理職(校長・副校長・教頭)などに相談し、いろいろな対策を練るんです。

僕が思う基本は、担任でできる限り抑えるというところです。
結局、何でもかんでも親やほかの先生に頼ってしまうと、その生徒との信頼関係がなくなってしまうんですよね。
何より、自分のクラスの生徒はかわいいですし、生徒と話し合って修正できるのであれば、無駄に大ごとにしてあげたくないんですよね。
タイミング悪くほかの先生に見つかってしまったりすると、話がこじれることもありますが(^^;)

高校は、これに停学と退学がくっついてくる感じですね。

では、NZのケースではどうでしょう?

基本的に、忘れ物とか、身の回りのことについては教科担任がクラス担任に相談します。
しかし、クラスの中で態度が悪かったりする場合は、教科担任が授業中に何度か注意をして、その結果その生徒が態度を改めなかったり、反抗したら基本的には学年主任に回されます。
そこから、学年主任の判断で「居残り(detention)」が課されます。
それでもダメな場合、もしくは暴力をふるってしまったりした場合は「自宅謹慎・定額(stood down)」が課せられます。
学校側がこのシステムでできるだけ生徒の修正を図っているのにもかかわらず、まったく改善が見られない場合は「退学(expel)」となります。

生徒と向き合って授業中に生徒と話し合うと、その生徒との関係は構築できるけど、ほかの生徒の学ぶ機会を奪っていることになるので、学年主任にさっさと送る。理にかなっているっちゃ理にかなっていますが、限界が来たらすぐに学年主任に回すと、生徒を指導する力が先生につききらないのではないかと思うんですよね。
なので、生徒指導がへたくそな先生も結構います。

・・・とはいっても、日本にも生徒指導がへたくそな先生はいるんで、比率としたらそんなに変わらないのかもしれないなぁ・・・。

ちなみに、僕は現地校で働いて、そろそろ3年になりますが、今まで日本人の生徒が意図的に悪さをした結果居残りをくらっている姿を見たことは今まで一度もないですね。
さすが日本人!
誇りに思います(^^)

以上ニュージーランドの学校事情でした。



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11/20

今日、NZ人の生徒に日本語を教えていました。
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週に1度、ホリデー中はやってないので、なかなか学習は進んでいませんが、もう教え始めて1年以上たったので、ひらがなもカタカナも何とか書いて読めるようになりました。
先週から文法の学習に入っているのですが、これがなかなか難しいんですよ。

文法とはちょっと違いますが、数字を1から10まで数えるときは4は「よん」と読んでも「し」と読んでもいいわけなんです。
でも、10から1、つまり上から下に読む場合には4は必ず「よん」としか読まないんですよね。

僕、日本語のネイティブスピーカーなわけで、どうしてかはよくわからないんです。

ほかにも、どういう時に「は」を「わ」と読むのか知らないわけなんですよ。
感覚に頼っているわけで、どう説明したらいいかなんて、日本語の先生しか知らないわけね。

この「は」に関しては「subject marker(主語を示すもの)」と呼ばれ認識されます。
日本語を教える前は知りませんでした、そんな表現。
つまり、主語の後に使う「は」の発音は「わ」なんだと、その生徒もわかってくれました。

しかし、今日の問題は「何」でした・・・。

何って、「なに」って読んだり「なん」って読んだりするんですよね。
これって、どんな時にどちらの発音を選んでいるんだろうか?

日本語を教えるサイトを見ると
How manyのときは「なん」
Whatのときは「なに」


と読むって書かれていた。
確かに人数の「何人?」は「なんにん?」ですよね。
そして、どこの国出身かを聞くときの「何人」は「なにじん」ですよね。

と伝えたら。

でもミスター、僕が教わった
「あなたの名前は何ですか?」
は、whatなのに「なん」って発音するって言ってたよって瞬時に指摘され


・・・わからない・・・。

授業が終わってから、嫁さんと話していたのだが・・・まだわからず。


なので、キッチンを片付けながらも考え続けました。


でもまだわからず。


全くいったい、なんなんだよ!
って言いたくなりますね・・・って、落ち切ってない感じがしますが、今日はここまでにします(^^;)



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